(今日は6月3日ではないか?)
加藤です、6月ですね。雨ですねぇ。
誰かを求めることは
即ち傷つくことだった
引用:「One Last Kiss」宇多田ヒカル
今月のVOGUE JAPANに、宇多田ヒカルさんのロングインタビューが掲載されていました。
かつて母親に感じていたこと、9年来受けているという精神分析の話、自身がお子さんに対して感じていることなどを語られていました。
その中で「今まで英語でしか考えたことがなかったから、うまく説明できるかわかりませんが…」と前置きした上で、こんな話をされていました。
おそらく初期体験から、愛することも愛されることも辛いこと、恐ろしいこと、と覚えてしまって、「愛」と「痛み」が私の中でセットになっちゃってたんです。二つを混同して、辛い思いをさせられる相手を愛の対象だと思っちゃったり。それで、どちらも感じないように抑え込んでたんだって気づいてから、「愛」と「痛み」を別々のものとして認識することに意識的に取り組んでいます。
引用:「VOGUE JAPAN7月号」P.70 3段23行目
岩Dが一瞬頭をよぎりましたが、要するに、宇多田ヒカルの音楽がこれほどまで世間に受け入れられているところを見ると、この感覚は 言語化できないにしても多くの人の内側に眠っているもの なのだろうなと感じました。
たまたまそのVOGUE読んだ後、流浪の月を観に行ったのですが、なぜか先ほどのインタビューと繋がりを感じてしまいえげつない気持ちになってしまった。
ストーリーも良いのですが、元々俳優だったら松坂桃李が圧倒的に好きで「流浪の月絶対見るぞ」と思っていたんですね。
ら、監督も「悪人」「怒り」を手がけた監督だったし、なんなら広瀬すずも出てるし多部未華子もいた。キャストがやばすぎる。
もうマジで、映画が凄すぎた。私の語彙で表現しきれない。
松坂桃李と広瀬すずは言わずもがななのですが、今回横浜流星さんが、広瀬すずにDVを働いてしまう婚約者役だったんです。これが本当にマジで横浜流星ってこんな役者だったのか…と唖然としてしまうレベルに凄くて。
今までイケメンの役者だと思ってたんですけど、私エンドロール見るまでこの人が横浜流星だって気づかなくて。あのあれ、塾講師と恋愛する少女漫画のドラマ見てたのに。もうイケメンの人じゃんとかそういう印象を凌駕して完全に役としてしか見れなかった。これはもう、なんか、新種の化石発見したみたいな衝撃だった(?)
流浪の月、結局冒頭のファミレスのシーンしか知らないまま行ったんですけど、なんだろう、いや、見た方がいいわ。説明するより見た方がいい。
ちなみに最後のシーンだけ一瞬はてなになったので、初見の人はストーリーのネタバレ読んでから行っても全然いいと思う。むしろその方が理解が深まる気がする。
李相日監督:「バリバリのハッピーエンドじゃないですか。他に何もいらないという境地に行けたんだから。原作者の凪良さんとも、更紗と文が社会からはじき出されたように見られたくないと話したんです。むしろ2人の方が、世俗的なつながりを捨てた。単純な希望とかいう言葉ではくくれないけれど、ある種の前向きさがある。2人が選択したということが、ハッピーエンドだと思うんですよね」
多くの他人に理解されなくても、誰か一人が自分を理解してくれているという希望。
そういう、本当にあるのかわからないこと・人を永久に探すこと、見つけようとすることが、人が活動する全ての意味なのかなと、ふと思った映画でした。